あなたにおくる最後の言葉

弔辞など故人に向けた言葉を集めました





蜷川幸雄さんへ、大竹しのぶさんからの弔辞

 

「俺さ、日常捨てたから。俺さ、まだ枯れてないよ。だからさ、もう一本、何か芝居つくろうよ」

すばらしかった『リチャード二世』観劇後の私に、蜷川さんがおっしゃってくださった言葉です。

そしてその言葉通り、「リハビリする時間があるなら稽古場へ行きたい」とおっしゃり、その後も何本も芝居をつくりあげました。

本当にすさまじいエネルギーと信念で、最後まで、走り続けられました。

こうしている今も、私は蜷川さんに出会えた喜びと、そして感謝の言葉しか浮かんできません。

稽古場に響き渡るあの怒鳴り声、ほかでは決して味わえることができない、あの心地よい緊張感。いい芝居をした時に見せてくださるあの最高の笑顔。

それらはこれからの私の演劇人生の中で、色あせることなく、輝き続けることでしょう。

蜷川さんにもう会えないことが知らされたあの夜、『身毒丸(しんとくまる)』に出演していた、当時小学生だった男の子からメールが届きました。

「しのぶさん、僕悲しいよ。僕ね、早く大人になって、もう一度蜷川さんのお芝居に出たかったの」

どれだけ多くの人がそう思っていることでしょうか。

『マクベス』で初めて海外公演を経験させていただいた時、本番前の劇場の客席を私は嬉しくて走り回っていました。

自分という人間を知らない人たちの前で、純粋に芝居ができるという喜びでいっぱいでした。

そんな私を蜷川さんは本当に嬉しそうに見て、おっしゃいました。

「ねえ、俺がさ、海外に出る理由わかる?いつも勝負していたいんだ。客観的なところに自分を置いて。追い込まないとさ、ダメになっちゃうだろ?」

蜷川さんのそんな思いが、日本と世界をつなげているんだということを、実感しました。

9日にお見舞いに伺った時も、苦しい呼吸の中で必死に生きようとされていました。

「まだやれる、まだつくりたい芝居があるんだ」

そんな声が聞こえてくるようでした。

目の前のテーブルには、今年つくる予定だった台本が3冊置いてありました。

「蜷川さん、稽古場でお待ちしていますね」

私は少しだけ大きな声で話しかけました。

するとその瞬間、はっきりと目を開けてくださり、私たちは数秒間、見つめ合いました。

そうなのです。稽古場にいなくては、劇場にいなくては、蜷川幸雄は、蜷川幸雄ではないのです。

今あなたがいなくなって、私たちはこれからどうすればいいのでしょうか?

でも私がニューヨークで走り回ったように、劇場という場所には、その塵にさえ、先人たちの魂が宿ると言われています。

あなたの魂の叫びは、いま世界中の劇場に、それを見た観客の心の中に、そしてもちろん、私たちの中に、永遠に残っていきます。

それを胸に私たちは、芝居を続けるしかないのです。

「どうだぁ?」と蜷川さんが、いつふらっと稽古場に現れてもいいように、一生懸命演劇を続けていくしかないのです。

だから、蜷川さん。

稽古場でお待ちしています。いつも、いつの日も。

本当にありがとうございました。

親愛なるニーナより


(2016年5月16日 東京・港区 青山葬儀所にて葬儀)

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蜷川幸雄さん:演出家。2016年5月12日、肺炎による多臓器不全のため永眠。享年80。

大竹しのぶさん:俳優