あなたにおくる最後の言葉

弔辞など故人に向けた言葉を集めました





堺正章さんから内田裕也さんへの弔辞

 

裕也さん、お疲れさまでした。

あなたは、私たち後輩にとっては、良き手本でもあり、あしき手本でもありました。

そのあしき手本の中にあなたの魅力がたくさん詰まっていたような、今思い返すとそんな気持ちになってきます。

そして良き手本としてはロックンロールを貫いたということです。

本来ならもっと違う道もあなたの中にはあったのかもしれません。

でも貫き通すということの大変さと、誇りをあなたは身をもって我々に示してくれた。

そんな気がします。

昔、裕也さんは僕にこんなことを言ったことがあります。

「堺、歌手として長生きするにはどうしたらいいか分かるか?ヒット曲を出さねぇことだ」

それもあなたは貫きましたね。

その言葉、変な山を作らずに、自分の思いで淡々と生きていけ。

そんなことを教えてくれたような気がします。

奥さんの樹木希林さんもつい最近あの世に旅立ちました。

あなた呼ばれたんですよ。

あなた1人でこの世にいちゃ危ないってんで。

樹木希林が呼んだんです。

今会ってるでしょ?

呼ばれたことを言われた時に、呼ばれたんだからって、俺も1人くらい呼んでやるかとか、そういうのはやめてください。

もうちょっと僕らこっちでがんばります。

見守ってくださいよ。

本当にあなたは若い頃は、とんがって、つっぱって。

あ〜、触るのも怖いくらい恐ろしい人でした。

でも、晩年はとてもまあるくなった。

とても素敵なとても優しい紳士になってきました。

裕也さん、あなた覚えてますか?

僕がその中の思い出として一番あるのが、あなたの古希の誕生日の会の時、私も呼ばれて行きました。

裕也さんは一言もその前に司会をやれとか言わなかったのに、現場に行ったら「お前が司会だ」と。

あの時いきなり決められて。

仕方ないので私が司会をやりました。

で、会場にいるお祝いの皆さまの顔を見たらアントニオ猪木さんがいらしたんで、私も言わなきゃいいのに

「猪木さん、裕也さんに気合入れてください」と。

その時に、猪木さんも「ま、今日はお祝いですから」とやめてくれればいいのに「よーし、やったるか」と。

センターに出てきて猪木さんが裕也さんに「よし!足を開いて歯をくいしばれ!1!2!3!」バチーンとやりました。

裕也さんがくらくらっと来たのを今でも覚えています。

それを僕が支えたとき、小さな声で『シェケナベイベー』と言ってましたね。

でも、気づかない僕がバカでした。

本当は『医者呼んでくれ』と言ったんですよね。

後で楽屋に行って、余計なこと言ってあんな展開になってしまったと謝ったら、『堺、ありがとう』って。

殴られたのは30年ぶりだったみたいで、『誰に殴られたの?』と聞くと『樹木希林に決まってるだろう』って。

まねができないすてきな人生。

あの世でもロックやってください。

そして、天国へ行ってください。

俺は地獄の方が似合うとか言わずに、天国へ行って、奥様に会って、今まで埋められなかった時間を埋めてください。

裕也さんのことは一生忘れずに生きていきたいと思います。

お疲れ様でした。

 

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2019年4月4日 「内田裕也Rock'n Roll(ロックンロール)葬」東京青山斎場