あなたにおくる最後の言葉

弔辞など故人に向けた言葉を集めました





石川さゆりさんから島倉千代子さんへの弔辞

 

島倉さん、こんなお別れの言葉を述べさせていただく日が来るなんて、思ってもいませんでした。
島倉さんの「さゆり、しっかりしろ」という声が聞こえるようです。頑張ります。

私が歌い手になったのも、小学生の1年生の時、熊本で島倉さんのステージを拝見して夢を見たからです。
ステージを拝見して夢を見て、歌い手としてデビューしたころ、私はお化粧も何にもできない子どもでした。「さゆり、ちゃんとお化粧するのよ」と、つけまつ毛もつけてくださいました。

島倉さんが「コロムビアレコードには美空ひばり先輩、島倉千代子、都はるみ、そして、さゆり、あなたもこの先輩からの流れを自覚して頑張るんだよ」って、おっしゃいました。

初めて紅白歌合戦に出場した時も、エンディングの「蛍の光」を歌う時、横で手を握って「来年もここで歌うんだよ」と言ってくださいました。それは私の大きな励みになりました。

やさしい島倉さんでしたが、時に厳しかったです。
「仕事を丁寧に一生懸命やること」「礼儀正しくあること」。
一緒のお仕事の時に、島倉さんより早く仕事場に入ろうと思って2時間前に入ったら、もうすっかり支度を済ませていらした時には驚いてしまいました。

昨年の年末、仕事場でお会いした時「おからだの具合はいかがですか?」と言ったら「わたしも歳だからね」とおっしゃっただけで、ご病気のことは一言もおっしゃいませんでした。

島倉さんのこの悲しい知らせを聞いて、都はるみさんにお電話をしました。
私が「強い方だったんだなぁと思います」と言ったら、はるみさんが「島倉さんは心が砕けるようなことをたくさん耐えていらしたんだよ」とおっしゃいました。
きょう、都はるみさんは大阪でお仕事です。「島倉さんによろしくね」「よろしく伝えてね」「大阪からいっぱい祈っています」と言付かりました。

生涯、歌い手としてあることは言葉で言うほどたやすいことではないと思います。
でも島倉さんは生涯を歌い手として見事なまでに全うされました。
歌への情熱、表現者としての夢をどんな時も決して失ってはならないこと、私たち後輩へ強く示されたのだと、あらためて思いました。

でも本当に寂しいです。もっともっとお元気で歌っていてほしかった。
やさしく、時に厳しく叱ってくれる人がいなくなってしまいました。

島倉さん、私の初代マネジャー、佐々木国雄さんは若いころ島倉さんのマネジャーでもありましたよね。
佐々木さんも今年の1月に天国に行ってしまわれました。
今ごろ「島倉さん、お疲れさまでした」と言いながら、お迎えに出ていらっしゃるかもしれません。

島倉さん、本当にありがとうございました。
そして、これからも私たち後輩を空高くから見守っていてください。

後輩、石川さゆり。

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2013年11月14日 東京都港区の青山葬儀所で葬儀・告別式