あなたにおくる最後の言葉

弔辞など故人に向けた言葉を集めました





野口五郎さんから西城秀樹さんへの弔辞

 

 秀樹、君が突然、去ってしまったことを知ってから何日がたっただろうか。皆さんに「気持ちの整理がつくまでに少し時間をください」とお願いしたのだけど、どうやってこの現実を受け止めてよいのか。いまだに君の言葉を、いろんなことを思い出して泣いてばかりいる。秀樹との46年間は簡単に語りきれるものではありません。こんなふうに君への弔辞を読むなんて考えてもいなかった。

 僕にとって、君は本当に特別な存在だった。あるときは兄のようでもあり、あるときは弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルでもあって。いつも怒るのは僕で、君は怒ることもなく、全部受け止めてくれて…。今思うと、僕と君とは、心の大きさが違うよね。つくづくそう思うよ。いつも僕のいうことを大事に、大事に、聞いてくれて。なんでそんなに信用してくれていたの?

 訃報を聞いて、君の家に向かう途中で、僕は突然、思い出して、妻に言った。

 秀樹の歌で「ブーメランストリート」って曲があって、ブーメランだからあなたが「きっと戻ってくる」って歌詞だけど、アンサーソングとして戻ってこなかった人を「ブーメランストレート」ってどうって(秀樹に)言ったら、「それ、いいね」って、秀樹が大笑いして。そうしたら彼、本当に「ブーメランストレート」っていう曲、出してしまったんだよ。

 君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレーから、突然「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で「五郎、来てくれたね」。君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかなって、そう思ったよ。

 30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、その時の曲を作ってほしい」って突然、言い出した。「秀樹、僕は人の曲は作らないって知っているだろ?」「うん、だから作って」「秀樹、『だから作って』は、日本語、変だから」「うん、最後にみんなで歌う曲、作ってほしいんだよ」「秀樹、悪いけど無理だから。それ、できないから」「分かっている。一応、締め切りはいついつだから」「秀樹、それできないからね」って別れたのに、締め切り日ギリギリにパジャマ着て、譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで僕が作ってくるのが当たり前のように玄関先で「ありがとね」って、君は笑顔で一言。完全に見透かされているよね。

 今年になってから、その曲がシングルカットされているのを知って。僕はそれまで知らなかったんだよ、シングルカットされているのは。君のマネジャーにお願いして、音源をもらって、マルチがないからCDから君の声だけ取り出して今年2月の僕のコンサートでデュエットした。なぜ今年だったんだろう。不思議でならない。コンサートを見に来てくださった君のファンの方も喜んでくださったって、奥さんから聞きました。

 デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなければ、そして次の高みを目指さなければ、と考えていた。その方向が、僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決して、アクション歌手ではないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを、僕は知っている。1993年、初めての「ふたりのビッグショー」で共演。一緒に歌った「アンチェインド・メロディー」「スモーク・ゲッツ・イン・ユア・アイズ」。ハーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良く決めるのは秀樹。でも僕は、そんな秀樹が大好きだった。本当に格好良いと思っていた。

 お互い独身時代が長かったから何でも話すようになって、ゴルフも一緒に行った。君が車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりとみそ汁を用意して「夫婦か!」なんて言いあって。僕が「秀樹、結婚するから」って言ったときの驚いた顔を忘れない。2月に僕が披露宴をしたときに「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。あ、こいつ結婚するって。案の定、5カ月後に美紀さんと結婚した。

 秋も深まったある日、妻が「もしかして子どもができたかも」と言いだし、驚いた僕は「明日病院に行って検査してもらおう」と2人で話した。そんなとき、君から突然の電話。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子どもができた」。生まれてみれば同じ女の子で君んちが6月3日、僕んちが6月5日。マジかこれ。当然、娘たちの初節句、ひな祭りも一緒に祝ったよね。

 3年前、秀樹の還暦パーティーに出て、サプライズでケーキを持ってステージに出させていただいたときの秀樹のびっくりした顔、今でも忘れられません。

 さかのぼること44年前、1974年。この年、僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん君は欲しかった賞だし、当然、うれしかったと思う。でも、君は僕の前では喜んだりしなかった。僕を気遣ったんだと思う。それから2年後、2人で受賞した。そのときは握手して2人で抱き合った。

 そして40年後、還暦パーティーで僕が「抱いていいか」。「何だよ」と言われたけど、僕はそんな君を抱きしめた。その時、君は僕のことを一瞬、抱きしめ返そうとした。その瞬間に君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で、「秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」。そう思った。それと同時に、僕の全身が震えた。こんな、ぎりぎりで立っていたのか。こんな状態で、ファンの皆さんの前で立っていたのか。そこまでして立とうとしていたのか。なんて、すごいやつだ。

 彼の大きさに驚いて、一瞬、頭が真っ白になって、彼のコンサートなのに、サプライズで来ている僕が「西城秀樹です」って、秀樹のファンの皆さんに彼を紹介してしまった。

 秀樹ほど、天真爛漫(らんまん)という言葉がぴったりな人は、僕はこれまでに会ったことがない。何事にもまっすぐで、前向きで、おおらかで。出会う人を、全てを魅了する優しさと全てを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩がどんなにたくさんいたか。僕はうらやましかったよ。

 僕もひろみも、秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに。

 秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。もう、リハビリをしなくて良いからね。もう頑張らなくて良いから。君のかわいい子どもたち、家族を、いつも見守ってあげてほしい。そしておまえの思うラブソングを天国で極めてくれ。

 秀樹、お疲れさま。

 そしてありがとう。

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東京・青山葬儀所 2018年5月26日