「その涙は嘘っぱちだろ?」と怒られそうですけど、短く言ったら長く言え、長くしゃべろうとすれば、つまらないから短くしろと怒られそうですけど。
まさか僕がきょうここに立つことになろうとは、自分は想像すらしてませんでしたよ。
最期のけいこというか、言葉で弔辞。5月11日、病室でお会いした時間が最期になってしまうとは。
先日、公園で一人『ハムレット』のけいこの録音テープを聞き返していましたよ。
恐ろしいほどのダメ出しの数でした。瞬間にして心が折れました。
「俺のダメ出しでお前に伝えたことは全て言った。今は全て分かろうとしなくていもいい。いずれ理解できる時がくるから、そうしたら少しは楽になるから。アジアの小さな島国の小さい俳優になるなと。もっと苦しめ、泥水に顔をツッコんで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから」と蜷川さんそう言ってましたよ。
蜷川さん、悔しいでしょう、悔しくて泣けてくるでしょう。
僕らも同じですよ。もっと一緒に居たかったし、仕事もしたかった。
たくさんの先輩方、同志の方々がたくさんきてますね。
蜷川さんの直接の声は、もう心の中でしか聞けませんけれども、蜷川さんの思いをここにいる皆でしっかりと受け継いで頑張っていきたいと思います。
気を抜いたら、バカな仕事をしてたら、怒ってください。
1997年、蜷川さん、あなたが僕を産みました。
奇しくもきのうは僕の誕生日でした。19年間、苦しくも、まぁほぼ憎しみしかないですけど、最高の演劇人生をありがとうございました。
蜷川さん、それじゃあまた。
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東京・青山葬儀所にて告別式 2016年5月16日